ろこのかたこと

たまに役者をやる会社員の日常

あなたのような誰か

 新しい趣味が増える予感というのは、なんだかドキドキする。
 知りたいことがどんどん出てきて、少しずつ、はまっていってるのを自覚する。
 まだ大きな世界の淵に触れただけの今だからこその記録を残しておく。

 香水との出会い自体は、昨年に遡る。
 最初に手にしたのはAUX PARADISのオールドパルファムだった。
 国産ブランドで、日本人ならではの繊細さを生かし、ナチュラルな素材を使っているのが特色らしい。
 かなり多彩なラインナップの中から、グレープフルーツとムースドマスカットの小瓶を選んだ。
 爽やかな2品は、個別でも、重ねて使ってもいい。
 店員さんに初心者であると話し、具体的にどう使うのか教えてもらった。お腹につけると全体に香るというのはその時初めて知った。
 15ミリリットルで3,000円程度。香水の中では手に取りやすいほうとは言えなかなかに値は張る。
 初めての香水を、私は大切に使った。
 出勤前に一吹きすれば、気持ちにスイッチが入る。仕事で疲れた時の気分転換にも一役買った。
 ただ、習慣にまではならなかった。買い足しもしなかった。
 品物に不満があったわけではなく、単にタイミングの問題だと思う。

 事実、次に来た機会が沼への一歩となった。
 つい先月のことになるが、友人と買い物を楽しむ中で衝動的に「香水ガチャ」を回したのである。
 カジュアルに香水と出会えるNOSE SHOPの店頭に、それはある。
 1回700円。一人だと見送っていたが、友人と一緒だったのが追い風になった。
 ガチャは2種あり、花の香りと夏の香りでジャンル分けされていた。友人は花を、私は夏を選び、回した。
 そこで出会ったのが「YOU OR SOMEONE LIKE YOU」だ。
 店員さんは「僕、これ好きなんですよね」と品物を取り出し、香りの解説をしてくれた。
 すべてを正確に覚えていないのが口惜しいが、「ロサンゼルスの街の女性をイメージしていて、少し寂しさも感じられる」というようなことを言っていた。
 どうやら少し大人な、色香ある情景が思い浮かぶような香りを引いたようだと、その時は思った。

 いざ試してみると、その香りは衝撃的だった。
 匂いがきついわけではない。
 ただ、私の胸に強烈な印象が残った。切なさである。
 陽が落ちて、顔が陰る、黄昏時の街。孤独と、ほんの少しの甘やかさ。
 都会的な爽やかさの中にナチュラルな雰囲気もある。
 これを表現しきる語彙が私の中にないが、NOSE SHOP公式の解説はまるで小説のようだ。
 実際、同名の小説の登場人物がイメージされてできた香水とのことだから、必然だろう。
 いやもしかして香水の解説って全部こんな感じなのか?複雑な感覚を表現するには、それは物語にならざるを得ないのかもしれない。

 ごくごく単純に、私はこの香りがとても気に入った。バックボーンも名前も含めて。
 材料が明かされていないミステリアスさも好きだ。
 ガチャで手に入るサンプルではなく、実際の瓶を買う決断をするまで時間はかからなかった。
 50ミリリットルで12,500円。個人的に安くはない買い物の部類だ。ただ、後悔はない。

 そう――後悔がないのだ。
 これは危ない。
 アイドルの特典会で言えば、うちの界隈のレギュレーションで言うとツーショット4枚分に相当する。シングルCD12枚分。
 この出費にためらいがないのは、もはや追っかけと同等の趣味ができてしまったということではないか。
 それに、今の私には知識欲がある。トップノートとか、ラストノートとか、スパイシーだとか柑橘系だとか、香水を語る上での語彙や経験が私にはまだ足りない。どうにかそのあたりを手に入れたい。
 まぎれもなくオタクへの道の第一歩である。
 YOU OR ~との出会いから数日後、またガチャを回したところ、今度はニコライのオードトワレ、フィグティーが出た。これもどうやらとても複雑な調香をしているらしい。キンモクセイコリアンダージャスミンでなぜイチジクになるのか不思議でならない。
 そういえば昔、漠然と、いつか香道をたしなみたいと思っていたことを思い出した。
 人生、いつどんなタイミングが巡ってくるかわからないものである。

 YOU OR SOMEONE LIKE YOUの瓶はシンプルで、ラベルの真っ青な瞳が際立つ。
 まずはこの眼差しとの会話を楽しみながら、少しずつ香水への知識を深めてみたいと思う。